東北紀行仙台篇
どうもカラヲケの持ち歌というのは中・高時代に聴いた曲が主になる傾向にあるようで、
大学院時代の研究室の助手(女性)はいつも松田聖子を歌っていたし、T大観世会の
大先輩のOさんは自演会の打ち上げでCCBの「ロマンチックが止まらない」を歌っていた。
かく云う僕もご多分に漏れず、カラヲケではいつもサザン(真夏の果実等)・ユニコーン
(大迷惑等)・米米CLUB(浪漫飛行等)・爆風スランプ(RUNNER等)・The Blue Hearts
(TRAIN-TRAIN等)etcの最近の現役学部生世代からすれば懐メロに分類されかねない
曲ばかり歌っている。
殊に僕達はTM NETWORKの直撃世代なので、カラヲケに行ったらまず「Get Wild」から
入ってその日の喉の調子を占う事に決めている。
TMN解散後もglobeやTRF、安室奈美恵等の小室サウンドにはお世話になりっ放しで、
中でもglobeのベストアルバム「CRUISE RECORD」は蓋し名盤だと思う。
従って今回の小室逮捕の報には大きな衝撃を受けた。
一度栄華を極めたアーティストが凋落後も生活の質を落とせずに破綻するという、
マイケル・ジャクソン型の典型例だろう。
聞けば今でも年に数億の印税収入があったそうなので、周囲に適切な助言者がいれば
ここまでの破滅には至らなかったと思われる。
「良薬口に苦し、諫言耳に痛し」は正に至言であると実感する。
今回の逮捕を機に小室サウンドや小室ブームそのものを否定する論調も目にするが、
彼が日本の音楽史に燦然と輝く名曲を数多く残したのは厳然たる事実だ。
TMNの楽曲の中では「BEYOND THE TIME」を第一に推したい。
数十年に一度の天才である事は疑いないので、全ての罪を償っていつか復活を果たす
日が来るのを待ち望んでいる。
さて例によって遅々として進まない東北紀行の最終回・仙台篇をお届け。
山寺駅から仙山線に乗って仙台に戻って来たのは17時過ぎで、そのまま東口から
片道100円のシャトルバスに乗ってKスタ宮城でのホークスvs楽天戦へと向かった。
どのくらい混むのか想像がつかなかったので外野指定席を購入したが、結果的には
平日月曜のナイターという事でガラガラだったので外野自由席で充分だった。
今までは年末年始にしか一時帰国しなかったので野球は当然シーズンオフ中で、
ホークス戦を最後に生観戦したのは渡英直前の平成18年7月まで遡らないといけない。
この時はQ大同級生のSさんと福岡ドームに西武戦を観に行った。
今回の観戦はそれ以来だったので心躍るものがあった。
試合はホークス新垣vs楽天岩隈の先発で、初回にいきなりホークス松田のソロで先制。
2回表に岩隈の悪送球で1点追加し、5回表にベテラン本間の2点適時打で4-0とした。
新垣は11三振を奪う力投で完封目前だったが、9回裏に2点を返されて4-2となり、
セーブが付く状況になったので抑えの馬原が出てきてピシャリと締めて勝利を収めた。
↓

外野自由席には応援団が陣取ってリードを執っていた。
他に類を見ないホークスの応援の特徴としてメガホンダンス(略してメガダン)という選手の
応援歌に合わせた振り付けがあり、昔は2軍も含めてほとんど全選手のメガダンを自在に
操れたものだったが、流石に観戦から遠ざかっている事もあってこの日のスタメンの中で
メガダンできたのは大村・松中・本間・井手くらいだった。
ちなみにKスタ宮城ではトランペットが禁止なので歌とコールが中心の応援となる。
↓

試合そのものは見応えがあったが、如何せんこの夜の仙台は寒かった!
日本は暑いだろうと思って半袖しか持って来ていなかったので、周囲の観客がコートや
ジャンパーでフル装備する中、1人Tシャツでガタガタ震えながらの観戦となった。
ちょっと9月下旬の東北を甘く見過ぎていたようだ。
それでも英国で寒さに慣れていたからどうにか試合終了まで耐えられたようなものの、
昔の自分だったら早々に諦めて撤収していただろう。
「野球は屋外でするもの」としてドーム球場に批判的な意見もあるが、日本のように
春や秋が低温になり更に梅雨も台風もある環境ではドーム球場が最も適していると思う。
市内に1泊して、翌日は朝から仙台訪問の主目的である旧制二高の跡地巡り。
まず「おまけ」用に宿から近い晩翠草堂を訪れた。
サイトに未掲載の草堂の建物の写真。
↓

次に徒歩で片平丁校舎に向かい、旧正門や校歌碑や二高生像の写真を撮り直したり、
前回の訪問時に撮り損なっていた本部棟の写真を新たに撮ったりした。
旧正門はこの正面観の写真と斜め上からの視点の写真とどちらを掲載しようか迷ったが、
正門柱と校歌碑の写真がいずれも正面観なので、変化を付ける為に斜めの写真にした。
手摺りやフェンスが邪魔して全体像がよく見えないのも却下の一因となった。
↓

それからやはり「おまけ」用に仙台城址から眺めた広瀬川の写真を撮りたくて、
片平丁から徒歩で青葉山に向かい初登城した。
本丸跡には伊達政宗公の有名な騎馬像が佇立しており、仙台市街を見守っている。
丁度老人会の団体旅行客とかち合ってしまったが、とにかく日没までに北六番丁と
三神峯の取材を終えないといけないので人がいなくなるのを待っている余裕は無く、
おじいちゃんおばあちゃん達が写り込むのも構わず政宗像をカメラに収めた。
↓

時間が無いので本丸跡はちらっと雰囲気だけ見るに留めて、るーぷる仙台という
市営循環バスに乗って仙台駅に向かった。
駅に荷物を預けて地下鉄仙台駅で1日乗車券を買うと、三日月兜に眼帯姿の政宗の
劇画調イラストが描かれていた。
なお現在「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」という大規模な観光誘致活動が
「美味し国 伊達な旅」のキャッチフレーズのもと展開中で、そのシンボルマークとして
おにぎりと三日月兜を組み合わせた「むすび丸」なるイラストが用いられている。
他にもJR東日本仙台支社のマスコットキャラとして「まさむねくんとめごちゃん」があり、
右目に眼帯をして頭に三日月兜を戴いている。
仙台では観光資源の一種として政宗の存在をフル活用している事が分かる。
EVAの庵野監督は綾波レイの髪を青色にしたのは「ゲーム化した時にドット絵でもすぐ
綾波と分かるから」という商業的な理由からだったと告白しているが、政宗も「眼帯」と
「三日月兜」という2つの属性さえ備えていれば誰でもそれと見分けがつくという、
いわゆる「キャラの立った」戦国武将になっている。
これは福岡人としてはなかなか羨むべき事で、福岡藩52万石の藩祖黒田長政と実父
黒田如水は動乱期に果たした活躍に見合う程の全国的な知名度が得られておらず、
博多観光では全くと云っていい程フューチャーされていない。
一方今回の訪問で仙台では街づくりや観光産業の上で青葉城が空間的なコアに、
政宗が精神的なコアに各々なっていると強く実感させられた。
さて仙台駅から地下鉄南北線に乗って長町南駅で下車し、駅前からバスに乗って
「西多賀一丁目西」で降りて三神峯公園へと向かった。
公園と云っても本当に何も無いただの野原で、桜で有名なので花見の時期は酔客で
賑わうようだが、今はオフシーズンなのかほとんど人がおらず雑草も伸び放題だった。
ここには元々陸軍幼年学校が在り、仙幼会という同窓会の設置した「雄大剛健」の
記念碑が建っている。
旧制二高のモットーも雄大剛健であり、また両方の学校に「山紫に水清き」に始まる
異なる詞曲の代表歌が存在する。
同じ仙台に設置された旧制学校として何かと共通点があるようだ。
↓

来た時は西側の正規の入口から入園したが、次に目指す瀧澤寺は東側に在るので
また戻ると遠回りになると思い、けもの道のような非正規の道を辿って公園の東側から
脱出して瀧澤寺に向かった。
ここで芳流碑の写真を撮り、徒歩で長町南駅に戻った。
随分歩いたので空腹度が危険領域に達しつつあり、仙台来訪のお目当ての1つである
牛タンを食べに行く事にした。
地下鉄勾当台公園駅で降りて、前回仙台に来た時に美味しかった記憶のある「太助」に
向かったが、あいにく火曜は定休日で閉店だったので、近くの「一仙」に入った。
牛タン定食には欠かせない麦とろめしとテールスープも付いていて大満足。
これでこそ仙台に来た甲斐があるというもの。
とろろご飯を食べるのも久し振りで、やっぱり日本の味はいいなぁとしみじみ思った。
↓

すっかり胃袋を満たした後、バスで北六番丁校舎に向かい、正門や守衛所の写真を
撮り直したり、前回撮り忘れていた「おまけ」用の東北大農学部記念碑を撮ったりした。
そして北四番丁駅から地下鉄に乗って旭ヶ丘駅で降り、高山樗牛瞑想の松を目指した。
この松の在る東北薬科大構内は付近の住民の散歩道にもなっているようで、途中迷って
場所が分からなくなった時に犬を連れたおばさんに松への道を教えて頂いた。
ちなみに東北薬科大設置の案内標は「瞑想の松」、晩翠の歌は「冥想の松」になっている。
サイト未掲載の松と記念歌碑の背面の写真。
↓

帰り際に旭ヶ丘駅前に建っている二高100周年記念植樹の碑を撮り、これで予定していた
一切の取材を滞りなく終え、ホッと安堵しつつ地下鉄で仙台駅に戻った。
仙台は青葉通・広瀬通・晩翠通・東二番町通等の幅の広い大通りが碁盤目状に交差して
分かり易く、また杜の都の別称の通り随所に巨木が茂って心地良い空間を演出していた。
他の拠点都市と比べれば東京からの距離もさほど遠くないし、将来機会があれば仙台に
住んでみるのも悪くないかもと思った。
ロッカーに預けていた荷物を回収し、17時過ぎくらいに全席指定の「はやて」に乗って帰京。
散々歩き回ってへとへとだったので車内では最初から最後まで爆睡だった。
上野駅で降りて秋葉原に立ち寄ってちょっと買い物した後、懐かしの御茶ノ水駅から昔の
通学経路だった地下鉄丸ノ内線に乗り、池袋での理研昭和51年会の飲み会に向かった。
丸ノ内線池袋駅のホーム西側の奥に地下鉄副都心線への連絡通路が開通しているのを
たまたま発見して、個人的に非常に感慨深かった。
何度も書いているように僕が使っていた頃は副都心線は池袋までの暫定開業だったので
連絡通路は未開通で、丸ノ内線と乗り継ぐには一旦改札を出てコンコースを歩いて再び
改札を通らなければならなかった。
下の写真の右端に丸ノ内線のエレベーターが写っているが、これは昔からあった。
(もっとオンボロだったけど)
昔はその左側は完全に壁で塞がれていて、副都心線開業に合わせて壁を貫通して奥に
連絡通路を新設し、同時にエレベーターも全面改装したのだろう。
結局今回は一度も副都心線に乗る機会が無いままだったが、次回の帰国時には是非。
↓

東北紀行3部作はこれにて糸冬了です☆
大学院時代の研究室の助手(女性)はいつも松田聖子を歌っていたし、T大観世会の
大先輩のOさんは自演会の打ち上げでCCBの「ロマンチックが止まらない」を歌っていた。
かく云う僕もご多分に漏れず、カラヲケではいつもサザン(真夏の果実等)・ユニコーン
(大迷惑等)・米米CLUB(浪漫飛行等)・爆風スランプ(RUNNER等)・The Blue Hearts
(TRAIN-TRAIN等)etcの最近の現役学部生世代からすれば懐メロに分類されかねない
曲ばかり歌っている。
殊に僕達はTM NETWORKの直撃世代なので、カラヲケに行ったらまず「Get Wild」から
入ってその日の喉の調子を占う事に決めている。
TMN解散後もglobeやTRF、安室奈美恵等の小室サウンドにはお世話になりっ放しで、
中でもglobeのベストアルバム「CRUISE RECORD」は蓋し名盤だと思う。
従って今回の小室逮捕の報には大きな衝撃を受けた。
一度栄華を極めたアーティストが凋落後も生活の質を落とせずに破綻するという、
マイケル・ジャクソン型の典型例だろう。
聞けば今でも年に数億の印税収入があったそうなので、周囲に適切な助言者がいれば
ここまでの破滅には至らなかったと思われる。
「良薬口に苦し、諫言耳に痛し」は正に至言であると実感する。
今回の逮捕を機に小室サウンドや小室ブームそのものを否定する論調も目にするが、
彼が日本の音楽史に燦然と輝く名曲を数多く残したのは厳然たる事実だ。
TMNの楽曲の中では「BEYOND THE TIME」を第一に推したい。
数十年に一度の天才である事は疑いないので、全ての罪を償っていつか復活を果たす
日が来るのを待ち望んでいる。
さて例によって遅々として進まない東北紀行の最終回・仙台篇をお届け。
山寺駅から仙山線に乗って仙台に戻って来たのは17時過ぎで、そのまま東口から
片道100円のシャトルバスに乗ってKスタ宮城でのホークスvs楽天戦へと向かった。
どのくらい混むのか想像がつかなかったので外野指定席を購入したが、結果的には
平日月曜のナイターという事でガラガラだったので外野自由席で充分だった。
今までは年末年始にしか一時帰国しなかったので野球は当然シーズンオフ中で、
ホークス戦を最後に生観戦したのは渡英直前の平成18年7月まで遡らないといけない。
この時はQ大同級生のSさんと福岡ドームに西武戦を観に行った。
今回の観戦はそれ以来だったので心躍るものがあった。
試合はホークス新垣vs楽天岩隈の先発で、初回にいきなりホークス松田のソロで先制。
2回表に岩隈の悪送球で1点追加し、5回表にベテラン本間の2点適時打で4-0とした。
新垣は11三振を奪う力投で完封目前だったが、9回裏に2点を返されて4-2となり、
セーブが付く状況になったので抑えの馬原が出てきてピシャリと締めて勝利を収めた。
↓

外野自由席には応援団が陣取ってリードを執っていた。
他に類を見ないホークスの応援の特徴としてメガホンダンス(略してメガダン)という選手の
応援歌に合わせた振り付けがあり、昔は2軍も含めてほとんど全選手のメガダンを自在に
操れたものだったが、流石に観戦から遠ざかっている事もあってこの日のスタメンの中で
メガダンできたのは大村・松中・本間・井手くらいだった。
ちなみにKスタ宮城ではトランペットが禁止なので歌とコールが中心の応援となる。
↓

試合そのものは見応えがあったが、如何せんこの夜の仙台は寒かった!
日本は暑いだろうと思って半袖しか持って来ていなかったので、周囲の観客がコートや
ジャンパーでフル装備する中、1人Tシャツでガタガタ震えながらの観戦となった。
ちょっと9月下旬の東北を甘く見過ぎていたようだ。
それでも英国で寒さに慣れていたからどうにか試合終了まで耐えられたようなものの、
昔の自分だったら早々に諦めて撤収していただろう。
「野球は屋外でするもの」としてドーム球場に批判的な意見もあるが、日本のように
春や秋が低温になり更に梅雨も台風もある環境ではドーム球場が最も適していると思う。
市内に1泊して、翌日は朝から仙台訪問の主目的である旧制二高の跡地巡り。
まず「おまけ」用に宿から近い晩翠草堂を訪れた。
サイトに未掲載の草堂の建物の写真。
↓

次に徒歩で片平丁校舎に向かい、旧正門や校歌碑や二高生像の写真を撮り直したり、
前回の訪問時に撮り損なっていた本部棟の写真を新たに撮ったりした。
旧正門はこの正面観の写真と斜め上からの視点の写真とどちらを掲載しようか迷ったが、
正門柱と校歌碑の写真がいずれも正面観なので、変化を付ける為に斜めの写真にした。
手摺りやフェンスが邪魔して全体像がよく見えないのも却下の一因となった。
↓

それからやはり「おまけ」用に仙台城址から眺めた広瀬川の写真を撮りたくて、
片平丁から徒歩で青葉山に向かい初登城した。
本丸跡には伊達政宗公の有名な騎馬像が佇立しており、仙台市街を見守っている。
丁度老人会の団体旅行客とかち合ってしまったが、とにかく日没までに北六番丁と
三神峯の取材を終えないといけないので人がいなくなるのを待っている余裕は無く、
おじいちゃんおばあちゃん達が写り込むのも構わず政宗像をカメラに収めた。
↓

時間が無いので本丸跡はちらっと雰囲気だけ見るに留めて、るーぷる仙台という
市営循環バスに乗って仙台駅に向かった。
駅に荷物を預けて地下鉄仙台駅で1日乗車券を買うと、三日月兜に眼帯姿の政宗の
劇画調イラストが描かれていた。
なお現在「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」という大規模な観光誘致活動が
「美味し国 伊達な旅」のキャッチフレーズのもと展開中で、そのシンボルマークとして
おにぎりと三日月兜を組み合わせた「むすび丸」なるイラストが用いられている。
他にもJR東日本仙台支社のマスコットキャラとして「まさむねくんとめごちゃん」があり、
右目に眼帯をして頭に三日月兜を戴いている。
仙台では観光資源の一種として政宗の存在をフル活用している事が分かる。
EVAの庵野監督は綾波レイの髪を青色にしたのは「ゲーム化した時にドット絵でもすぐ
綾波と分かるから」という商業的な理由からだったと告白しているが、政宗も「眼帯」と
「三日月兜」という2つの属性さえ備えていれば誰でもそれと見分けがつくという、
いわゆる「キャラの立った」戦国武将になっている。
これは福岡人としてはなかなか羨むべき事で、福岡藩52万石の藩祖黒田長政と実父
黒田如水は動乱期に果たした活躍に見合う程の全国的な知名度が得られておらず、
博多観光では全くと云っていい程フューチャーされていない。
一方今回の訪問で仙台では街づくりや観光産業の上で青葉城が空間的なコアに、
政宗が精神的なコアに各々なっていると強く実感させられた。
さて仙台駅から地下鉄南北線に乗って長町南駅で下車し、駅前からバスに乗って
「西多賀一丁目西」で降りて三神峯公園へと向かった。
公園と云っても本当に何も無いただの野原で、桜で有名なので花見の時期は酔客で
賑わうようだが、今はオフシーズンなのかほとんど人がおらず雑草も伸び放題だった。
ここには元々陸軍幼年学校が在り、仙幼会という同窓会の設置した「雄大剛健」の
記念碑が建っている。
旧制二高のモットーも雄大剛健であり、また両方の学校に「山紫に水清き」に始まる
異なる詞曲の代表歌が存在する。
同じ仙台に設置された旧制学校として何かと共通点があるようだ。
↓

来た時は西側の正規の入口から入園したが、次に目指す瀧澤寺は東側に在るので
また戻ると遠回りになると思い、けもの道のような非正規の道を辿って公園の東側から
脱出して瀧澤寺に向かった。
ここで芳流碑の写真を撮り、徒歩で長町南駅に戻った。
随分歩いたので空腹度が危険領域に達しつつあり、仙台来訪のお目当ての1つである
牛タンを食べに行く事にした。
地下鉄勾当台公園駅で降りて、前回仙台に来た時に美味しかった記憶のある「太助」に
向かったが、あいにく火曜は定休日で閉店だったので、近くの「一仙」に入った。
牛タン定食には欠かせない麦とろめしとテールスープも付いていて大満足。
これでこそ仙台に来た甲斐があるというもの。
とろろご飯を食べるのも久し振りで、やっぱり日本の味はいいなぁとしみじみ思った。
↓

すっかり胃袋を満たした後、バスで北六番丁校舎に向かい、正門や守衛所の写真を
撮り直したり、前回撮り忘れていた「おまけ」用の東北大農学部記念碑を撮ったりした。
そして北四番丁駅から地下鉄に乗って旭ヶ丘駅で降り、高山樗牛瞑想の松を目指した。
この松の在る東北薬科大構内は付近の住民の散歩道にもなっているようで、途中迷って
場所が分からなくなった時に犬を連れたおばさんに松への道を教えて頂いた。
ちなみに東北薬科大設置の案内標は「瞑想の松」、晩翠の歌は「冥想の松」になっている。
サイト未掲載の松と記念歌碑の背面の写真。
↓

帰り際に旭ヶ丘駅前に建っている二高100周年記念植樹の碑を撮り、これで予定していた
一切の取材を滞りなく終え、ホッと安堵しつつ地下鉄で仙台駅に戻った。
仙台は青葉通・広瀬通・晩翠通・東二番町通等の幅の広い大通りが碁盤目状に交差して
分かり易く、また杜の都の別称の通り随所に巨木が茂って心地良い空間を演出していた。
他の拠点都市と比べれば東京からの距離もさほど遠くないし、将来機会があれば仙台に
住んでみるのも悪くないかもと思った。
ロッカーに預けていた荷物を回収し、17時過ぎくらいに全席指定の「はやて」に乗って帰京。
散々歩き回ってへとへとだったので車内では最初から最後まで爆睡だった。
上野駅で降りて秋葉原に立ち寄ってちょっと買い物した後、懐かしの御茶ノ水駅から昔の
通学経路だった地下鉄丸ノ内線に乗り、池袋での理研昭和51年会の飲み会に向かった。
丸ノ内線池袋駅のホーム西側の奥に地下鉄副都心線への連絡通路が開通しているのを
たまたま発見して、個人的に非常に感慨深かった。
何度も書いているように僕が使っていた頃は副都心線は池袋までの暫定開業だったので
連絡通路は未開通で、丸ノ内線と乗り継ぐには一旦改札を出てコンコースを歩いて再び
改札を通らなければならなかった。
下の写真の右端に丸ノ内線のエレベーターが写っているが、これは昔からあった。
(もっとオンボロだったけど)
昔はその左側は完全に壁で塞がれていて、副都心線開業に合わせて壁を貫通して奥に
連絡通路を新設し、同時にエレベーターも全面改装したのだろう。
結局今回は一度も副都心線に乗る機会が無いままだったが、次回の帰国時には是非。
↓

東北紀行3部作はこれにて糸冬了です☆
![[通堂主人]](http://blog-imgs-17.fc2.com/k/a/y/kayoidoannex/tooth2s.jpg)